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埼玉高速鉄道2000系の車歴表

車歴表
編成番号入籍日備考
21012000-11-10
21022000-11-13
21032000-11-14
21042000-12-11
21052000-11-28
21062000-12-13
21072000-12-27
21082001-01-19
21092001-02-02
21102001-02-19私鉄車両編成表では2001-02-17

製造所は川重。

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東京都交通局6300形の車歴表

車歴表
編成番号入籍日製造所備考
63011993-06-22川重
63021993-06-22川重
63031993-06-22川重
63041993-06-22川重
63051993-06-24川重
63061994-05-11川重
63041994-05-11川重
63081994-05-11川重
63091994-05-27川重
63101994-06-08川重
63111994-06-17川重
63121994-06-24川重
63131994-07-01川重
63141999-08-01川重
63151999-06-24川重私鉄車両編成表では1999-06-28
63161999-07-01川重
63171999-07-08川重
63181999-07-28川重私鉄車両編成表では1999-07-27
63191999-07-31川重
63201999-08-16川重
63211999-08-19川重
63221999-09-06川重
63231999-09-09川重
63241999-09-28川重
63251999-10-01川重
63261999-10-19川重
63271999-10-22川重
63281999-11-01川重
63291999-11-05川重
63301999-12-07川重
63311999-12-08近車
63321999-12-09近車
63331999-12-11近車
63342000-02-05川重
63352000-02-10川重
63362000-02-19川重
63372000-08-04川重
ATC・ATO・SR設置およびITV準備工事
編成番号日付
63011999-03-04
63021999-03-23
63031999-04-09
63041999-04-28
63051999-09-04
63061999-05-20
63071999-06-07
63081999-06-24
63091999-07-13
63101999-08-02
63111999-08-18
63121999-09-23
63131999-10-14

鉄道ピクトリアル新車年鑑1991年版~鉄道車両年鑑2006年版と私鉄車両編成表2000年版~2003年版を基に作成。食い違う部分は新車年鑑・鉄道車両年鑑を優先した。

5000系の荷棚高さ

3000系では「従来より20mm低い1710mm」(RP1999年6月号)とした。5000系では「3000系とほぼ同じ高さ」(RF2002年6月号)とした(その号の図面を見ると1730mm)。

また、Y500系でも1730mmとしている(RF2003年12月号)。

このため「3000系より20mm低く」したと書かれているRP2002年7月号とRF2002年6月号はおそらく誤りと思われます。

5000系のコストダウン比メモ

  • 鉄道ファン2004年5月号 新車ガイド 東京急行電鉄5050系: 3000系比3割減
  • 鉄道ファン2006年11月号 東急8000系ファミリーの記録3: 2000系比2割減

用賀車庫計画

用賀には2度の車庫建設計画がありました。その計画の流れをまとめてみます。

  • 戦時中、玉電の車庫用地として約1万9800平方メートルを確保。
  • 大橋車庫の空襲に備え、引込み線300メートル2本を建設。
  • 時期不明、引込み線廃止、入口の一部のみ残る。
  • 1960~1964年(昭和35~39年)、銀座線直通・二子玉川園折り返しとして計画された新玉川線用の車庫用地として追加用地買収、約4万9500平方メートルまで拡張。
  • 1968年(昭和43年)、新玉川線が半蔵門線・田園都市線と直通する計画に変更、東急が鷺沼から長津田に検車区を移転、東急鷺沼検車区の跡地に営団鷺沼車両基地を建設することとなり、用賀車庫計画は消滅。
  • 1969年(昭和44年)玉電廃止。
  • 1977年(昭和52年)新玉川線開業。
  • 1993年(平成5年)用賀車庫用地を活用した28階建の世田谷ビジネススクエア竣功。

参考資料

用賀駅 - Wikipedia

世田谷・たまでん時代70,71ページ

「ところで、用賀の引込み線を山本さんは覚えていますか」地元の坂戸氏の質問に山本氏は「覚えていません」と答えた。坂戸氏の話によると、空襲もひどくなったため、大橋車庫の非常に備えたもので、二本の引込み線が約三〇〇メートル延びていた。実際に使用され、坂戸氏はこの引込み線から出庫の用賀始発の渋谷行き電車に何回か乗ったそうだ。でも地図にも載っていないと、ちょっとくやしそう。

新玉川線建設史45ページ

車庫用地についても用賀に玉川線車庫として戦時中に確保した約1万9800平方メートル(約6000坪)の自社用地があるため、これに買い増しをする計画であること、

新玉川線建設史 93ページ

このうち同車両基地については、当社が当時すでに玉川線用賀停留場に近接して保有していた約1万9800平方メートル(約6000坪)の社有地に、それと隣接する一帯約2万9700平方メートル(約9000坪)を買収して加え、合計約4万9500平方メートル(約1万5000坪)の一台団地としてここに建設することとされ、

新玉川線建設史920ページ

当初計画による新玉川線は、営団銀座線に乗り入れる第3軌条方式の地下鉄で、その運転区間も銀座線及び渋谷~二子玉川園間であり、田園都市線とは直通せず二子玉川園駅で同線に乗り換えることとなっていた。したがって車庫も上記区間内に設定せざるを得ず、当初は現用賀駅近くに計画されていた。