忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

8000系・8500系車体肩部分の変化

ちょうどいい写真が取れたので表と一緒にどうぞ。8000系グループの仕様の違いは根岸旭台鉄道研究所内の東急8000系研究室がとても参考になります。

一覧表
  車体 絶縁材範囲 屋根布押さえ
~12-2次車 非軽量 肩を含む あり
12-3 軽量 肩を含まず あり
13次車 軽量 肩を含まず なし
14次車~ 軽量 肩を含む なし

写真

手前から、サハ8921号(10-1次車)、デハ0708号(18-2次車)、デハ8842号(13次車)。

CIMG5688
藤が丘 2006-12-23

Creative Commons License
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

PR

5000系グループ種別・行先表示器のタイプ

一覧表
  5000系 5050系 5080系
1次車 幕(枠の角が丸い)+3色 - -
2次車 幕+3色 - 3000系タイプ
3次車 - フルカラー 3000系タイプ
4次車 フルカラー フルカラー -
5次車 フルカラー フルカラー フルカラー

写真

幕(枠の角が丸い)+3色タイプ: 1次車 5101Fクハ5101号 鷺沼 2007-01-27
CIMG8948
幕+3色タイプ: 2次車 5106Fクハ5106号 鷺沼 2007-01-27
IMGP0437
フルカラータイプ: 5次車 5109F 藤が丘 2006-12-23
CIMG5719

Creative Commons License
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

51056Fと51054Fの営業運転開始日

東武50000系電車 - Wikipediaの51056Fと51054Fの営業運転開始日を修正しました。一応修正の基となったWebサイトを示しておきます。

  • 51056F 誤:2006年5月5日 正:2006年5月3日
  • 51054F 誤:2006年6月21日 正:2006年6月20日

51056F

51054F

7603F休車解除

10月27日頃から雪が谷検車区で休車となっていた7603Fの休車が11月12日頃に解除されたようです。それほど重要な出来事ではないかもしれませんが、日付があやふやになりがちなので、目撃情報をまとめてみます。

CIMG1667
休車中の7603F 2006年10月28日 雪が谷検車区CIMG1667 posted from フォト蔵

用賀車庫計画

用賀には2度の車庫建設計画がありました。その計画の流れをまとめてみます。

  • 戦時中、玉電の車庫用地として約1万9800平方メートルを確保。
  • 大橋車庫の空襲に備え、引込み線300メートル2本を建設。
  • 時期不明、引込み線廃止、入口の一部のみ残る。
  • 1960~1964年(昭和35~39年)、銀座線直通・二子玉川園折り返しとして計画された新玉川線用の車庫用地として追加用地買収、約4万9500平方メートルまで拡張。
  • 1968年(昭和43年)、新玉川線が半蔵門線・田園都市線と直通する計画に変更、東急が鷺沼から長津田に検車区を移転、東急鷺沼検車区の跡地に営団鷺沼車両基地を建設することとなり、用賀車庫計画は消滅。
  • 1969年(昭和44年)玉電廃止。
  • 1977年(昭和52年)新玉川線開業。
  • 1993年(平成5年)用賀車庫用地を活用した28階建の世田谷ビジネススクエア竣功。

参考資料

用賀駅 - Wikipedia

世田谷・たまでん時代70,71ページ

「ところで、用賀の引込み線を山本さんは覚えていますか」地元の坂戸氏の質問に山本氏は「覚えていません」と答えた。坂戸氏の話によると、空襲もひどくなったため、大橋車庫の非常に備えたもので、二本の引込み線が約三〇〇メートル延びていた。実際に使用され、坂戸氏はこの引込み線から出庫の用賀始発の渋谷行き電車に何回か乗ったそうだ。でも地図にも載っていないと、ちょっとくやしそう。

新玉川線建設史45ページ

車庫用地についても用賀に玉川線車庫として戦時中に確保した約1万9800平方メートル(約6000坪)の自社用地があるため、これに買い増しをする計画であること、

新玉川線建設史 93ページ

このうち同車両基地については、当社が当時すでに玉川線用賀停留場に近接して保有していた約1万9800平方メートル(約6000坪)の社有地に、それと隣接する一帯約2万9700平方メートル(約9000坪)を買収して加え、合計約4万9500平方メートル(約1万5000坪)の一台団地としてここに建設することとされ、

新玉川線建設史920ページ

当初計画による新玉川線は、営団銀座線に乗り入れる第3軌条方式の地下鉄で、その運転区間も銀座線及び渋谷~二子玉川園間であり、田園都市線とは直通せず二子玉川園駅で同線に乗り換えることとなっていた。したがって車庫も上記区間内に設定せざるを得ず、当初は現用賀駅近くに計画されていた。